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震災から5年 その3
 

「ありがとう券 山本山」は今回の為に作成したものではありません。

これもまた、支援してくださった方が作ってくれたものでした。

そして5年間寝ていたものでした・・・。

 

震災が起き、実家も、近くにあるじいちゃん家も、

たぶんもれなく家の中は凄いことになっていました。

じいちゃんの家の大きな押入れには

80年間の結晶が沢山入っていました。

それは、冠婚葬祭の際にいただく贈答品の数々でした。

私はそれらを片付けながら、ふと思いました

「これらを片付けても、また何十年もこのままここに置き去りか・・・!?」

全ては使い切れないものばかり。

我が家は使い切れなくても、これらを必要とする人が今なら

すぐ近くにごまんといる・・・。

これらを、なんとか必要な市民に渡せないものか!?

 

すぐにネットで調べると、三条水害の際に

楽市楽座無料フリマをした人がいる事がわかり

連絡すると、小千谷にボランティアにしょっちゅう来ているという!

そして、相談し小千谷でも無料フリマ楽市楽座が開催されました。

一部始終を見ていた彼は小千谷はいい街になる!と確信してくれていました。

そして、三条でやっている地域通貨「らて」をお手本に

小千谷でも地域通貨をしないかと薦めてくれました。

そして、この券を作って「自由に使ってくれ」と置いていったのです。

私は興味はあったものの、そこまでの気持ちはなく

いつか何かに使えれば・・・と暖めておきました。

 

そして、夢メッセージの打ち合わせの際に、

何か記念に持ち帰るものを!の言葉に

持ち出して改めて見ると、なんとなんと、

まさに私達が使う為につくられた券そのものでした!

 


「ありがとう券」「つながれつながれ小千谷の気持ち」

「全ての立場の枠を超えたお助け上手 お助けられ上手となり 

ありがとうの気持ちを循環させ

地域の復興と自立を目的とする道具です」

と、記載されていました。

 

5年前の混乱期に作ってくれたこの券が

今を見透かしたように作られていた。

いや、5年前も今も、変わることなく、

こういう事が実現していたからこそだろうな〜〜と思いました。

 

久々に作った本人に連絡をとると

「丁度、見て欲しいものが出来上がって、連絡して行こうと思っていた!

あ〜〜あの券ね!忘れかけていたよ・・・使って使って!

でも、あのサイトはもう使えないな〜〜」

 

という事で、サイトはありませんが

2014年10月23日に改めて「ありがとう!」

を発信できたらと思います。

 

それまでの間に、券にあるように

「ありがとうの気持ちを循環させ地域の復興と自立」

でいっぱいになっていたらいいな〜〜。

| tomo | 13:13 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
震災から5年その2
 

震災から5年の10月23日に

東京や長野の知人からメールが何通かきた。

「この日に小千谷に行きたかったけど、どうしても都合がつかなかった。

でも、心は小千谷にあります」

「23日の夜にはなんとか小千谷に着けると思う。この日をどうしても小千谷で迎えたかった」

「節目の5年のこの日に小千谷に行けなくて残念だけど心は参加しているからね。

毎日無事に過ごせることに感謝!出会えた事に感謝しています。(中略)愛を込めて」

 

みな、当時ボランティアとして小千谷に滞在し、

今でも交流のある方々です。

今でもこうやって思ってくれている方々がいる事が

強く心を打ちます。

今は、被災者とボランティアの関係ではありません。

でも、こうして思ってくれる・・・。

どうしようもなく有りがたい気持ちでいっぱいです。

 

 

「夢メッセージイベントの際に、何か記念にもらえるといいね」の

ちょっとした会話から出来たのが

この「ありがとう券山本山」です。




震災から10年の10月23日に、会いましょう。という券です。

きっと、メッセージ実行委員が集まって何かをすると思います。

何もしないかもしれないけど、

また、仲間に友人に、知人にお世話になった方に「会いたい!!!」

そんな思いを込めました。

 

神戸から来てくれた方々にお土産に渡したら

喜んでもらってくれて、とても嬉しかったです!

(ただの紙切れで、申し訳ないのですが・・・)

 

23日には会えなかったけど、

小千谷を思ってくれる方々に後で

渡したいと思いました。

 

今でも交流の続く人もいれば、その後1度も連絡を取り合ってない人も、

途中まで連絡取り合っていた人もいます。

でも、本当は会いたい人たちが沢山います。

勝手な思いかもしれませんが10年の節目の際

会いたい・・・。会えなくても「ありがとう!こうしているよ!」とかって連絡したい。

って、感じた震災から5年の10月23日でした。

| tomo | 11:03 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
震災から5年
 

震災から3年を控えた2年前の夏、

小千谷の本町に住む女性が訪ねてきて

「震災の際には全国の方々に本当にお世話になった。

でも、あの時は余裕がなくて、いっぱいいっぱいで

ちゃんとお礼も言えてなかった・・・。

あんなにお世話になったのに・・・。

今、この3年のこの時を逃しては駄目だと思って!

どうしても、”ありがとうを伝えたくて!!!!”」

などなどと、あつ〜〜い思いを語り、協力してくれと言われた。

 

初対面の彼女の気持ちは痛いほど理解できた。

でもどうすれば???どうしたいの???

最初のうちは、周りの人々も???

でも、彼女の熱い気持ちに賛同者が現れ始め、

ついには、

中越大震災から3年

〜4万人からのありがとうメッセージ〜企画が動き始めた。

 

それでも最初は半信半疑だった・・・。

でも、声をかけると、大半が好意的。

そして、集まったメッセージを読んで、驚いた!!!

こんなにも一人一人にドラマが有ったのかと。

全国の方々の暖かさと共に、小千谷の方々の素晴らしさを感じる

それはそれは素晴らしいものばかりだった。

 

ほぼ全部を読み、これは凄い小千谷の財産だ!と感じた。

いいだしっぺの実行委員長に今でも感謝しています。

5年たっても、きっと何十年たっても、

このメッセージは色褪せない!むしろ逆だと感じた。

3年のイベントが終わり、

「次のメッセージはなんだろうね?」

「その時にならないと分からないものかもね。」

「その時に自ずと決まるよね」と、話した。

 

そして、自ずと出たメッセージは

「夢」だった。

5年目にして、やっと将来の事を思えるようになった。

これはきっといい事なんだろうと思う。

「夢なんてない」「何の希望もない」なんて言う人も結構いる。

私の母もそう・・・。

年をとると将来の夢なんて考えることもないし

実際にも無いように感じる。

でも、普段は意識してないからそう思うけど

実際は、あるものだと思う。

だからこそ、ちょっと考えてみるのもいいものだと思う。

 

もし、本当に自分自身の夢や希望を思い描けなかったら

地域や、他人の事で夢を描いてもらえたら尚いいと思う。

「孫や家族の幸せを願う」も良いし

「世界中の人が平和に幸せになって欲しい」と言うのもいい。

 

「世界中の人が平和に幸せになって欲しい」という気持ちこそが

私達が震災にあった際に、

全国の方々からいただいた気持ちそのものだと感じるから。

 

大きな震災に遭ったからこそ、

私達は他人の幸せを願わずにはいられないのかもしれないし、

何か出来ることがある筈と思う。

 

震災から5年を向かえ、改めて、全国の方々に「ありがとうございました」

そして願わくは、「世界中の人に幸あれ」

 

| tomo | 18:06 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
ボランティア6!
 まだ続きます!
なんとなんと、おじさんがボランティアの心暖まる話をしていった2時間後、
メールが来ました。

その相手は、長期間ボランティアに来てくれていたMちゃん!
時々小千谷に遊びにきては、ジェラートを食べに会いにきてくれていた彼女ですが
もう2年位は来てないような・・・。メールもやりとりしなくなってかなり経ってしまい
タイミングをなくしていた所・・・。

先日放送された闘牛の番組を見て
「まだ闘牛は見たことがないから、いつか行きたいです!」などなどの
メールをくれたのです!

嬉しかった〜〜!!!
春先に、お客さんのWさんが
「Mちゃんが小千谷に来ると我が家に泊まっていってくれたんだけど
お母さんが病気になって、来られなくなったから
今度は俺らが会いに行くようになったんだよ」と教えてくれました。
ボラセンで知り合い、今では家族ぐるみの付き合いだそうです。

Wさんは元タクシー運転手で、
途中からボラセンの”地図見”を毎日してくれた方です。
市内在住だけでも充分な戦力なのに、運転手とは!
最高の方がいてくれたものです!

Mちゃんは看護婦さんでした。
ボランティアに行く為に、職場に休暇願いを出したけど
いい返事が帰って来なかったそうです・・・。
「休みが貰えないなら辞めます」と、仕事を辞めてまで
小千谷に来て長期間活動してくれたのです。
因みに小千谷に何の縁もありません。

ボラセンが終了した後も、何か出来ないかと模索し続け
「立ちあがれ!中越」プロジェクト」の販路を拡大する為に奔走してくれました。

我が店でもジェラートを食べるだけでは終わらず、
ジェラートを何個も買っては贈答などに送ってくれました。

本当に魅力的な素敵な女性です。
一見、か細く・また美人なゆえ、
彼女のどこにそんな強さが潜んでいるんだろうと思うことしばしばでした。

そんな彼女とまた再会できるかも!楽しみです!
待ってるよ〜〜
| tomo | 16:20 | comments(4) | trackbacks(0) | pookmark |
ボランティア5
 その、そば屋のおじさんが帰り際に
「あの、黄色い”がんばってますシール”ってまだ売っているか?」
「荷物送る時に今でも貼っていて、まだ欲しいのだけど」と言うのです。

”がんばってますシール”とは
当時、ボラセン副本部長のMさんが中心に
「地域の経済復興なくして、本当の復興はない」
と始めた「立ちあがれ!中越」プロジェクト」活動の際に使用されたシールです。
その活動は今は一応終了しているのはずですが・・・。

おじさん曰く
「今でも、県外の鰹節なんかを取り扱う会社の請求書に
”応援してますシール”が貼ってあるよ。
そっか・・・もうやってないのか・・・・
じゃあ相当沢山買ってくれて在庫があるんだな・・・。」

「あのシールいいのにな〜〜」と残念がっていました。

Mさんはそれでなくとも忙殺される日々の中で
ボラセン以外にも、こんな活動をしていたのです!



また、Mさんは日本で初めて
小規模のお店や事業所にボランティアさんが行けるように改正しました。
それまでのボランティアは営利目的の場には適用されてなかったのだそうです。
でも、自宅兼お店の家族で経営する小さなお店では
家も、店もままならず、生活の糧を失う・・・。
そんな人が沢山いました。

「地域の経済復興なくして、本当の復興はない」です。
新たな事を起こすには相当のパワー・時間・リスク・責任など
色んな事が伴います・・・。
でも、それをMさん短時間にやってくれました。

おじさんの店も、全然復旧のメドが立ってませんでした・・・。
おじさん自身、地震の揺れで配達中のバイクから転んで
骨を折るケガをしていたから、無理もありません・・・。
市内のお店が、どんどん開店していくのに・・・。

おじさんに、
「お店にもボランティアが来てくれるから電話をしてみたらどうか、
また、人員が余っているから遠慮はしないでいいと思う。
逆に喜ばれるだろう」と話すと
やはり、その存在を知らずにいて、喜んでくれました。

そして、先日の再開となった次第です。
今でもおじさんは、その時の恩を忘れてはいません。
仮設住宅がまだあった頃は
仮設在住の人だと知ると、おそばを無料にしたり

中越沖地震の後では、その地域の人がお客さんだと知ると
やはり無料にしたりして
自分が受けた恩を違う形で返していました。
そんな市民が沢山いると思います。

できる人ができる事を!ですね。

| tomo | 17:54 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
ボランティア4
 ボランティアの話が続きますが・・・。

親戚のおじさんが、新そばが出来たからと持ってきてくれました。
おじさんは市内で、「福枡」というおそば屋をしています。

そのおじさんと、茶のみ話をしていたら
なんと、このタイミングでボランティアさんの話をしてきたのです。

お昼の最後のお客さんが会計をしていました。
その方は40代位の品のいい男性で、リュックサックを背負っていました。
福枡は、ちょっと郊外にあるので、
おじさんは時々、お客さんに声をかけ、
車で、駅やインター、宿などまで送ってあげるだそうです。
(時にはタクシーで食べにくる高齢のお客さんもいるとか!)

その方にも声をかけると
「歩いていくからいいです」と断ったそうです。
でも、遠慮していると思うおじさんは
あれこれと世話を焼こうとしました・・・。
そして色々話をしているうちに・・・

「実は、ボランティアでこのお店に来たことがあり・・・
他の場所もかなり綺麗になったようなので、嬉しくて・・・
あちらこちら、気になる所を歩いて回りたいのです・・・」

おじさんはビックリ仰天!
「おまえさん、なんで先にそれをいわないが〜てぇ〜〜!
お金なんていただけない!」と、押し問答・・・だったそうです。


おじさんは「いや〜〜嬉しかったてぇ〜〜!」
「住所を聞かせてくれと行ったけどそれも教えてくれなかった・・・。
本当に世の中には素晴らしい人がいるもんだ。
確か、どこかの社長とその従業員さんが数人で手伝いにきてくれたんだったよな。
社長も威張ってなくて率先して作業してくれて、皆いい人達だったんだ。
きっと、その中の1人だった人だな〜」と、感激していました。

いい話だな〜〜と思って聞きました。
おじさんの好意(車で送る)があって、初めて明るみになった話なので
おじさんもがいい人だったからこそ、今回判明したわけで・・・。
いい人には、いい出会いがあるのだと感心しました。

おじさんはお店をしているから
たまたまだけど、こうやってボランティアに来てくれた方と再会が出来ました。
でも、こういう方が実は結構いるのでは?って思います。
人知れずやってきている人・・・。
ありがたいやら、もったいないやらです。
| tomo | 16:48 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
ボランティア3
 広報のリーダーも同じく山本山の現状に胸を痛めていました。
市民の家から見える雄大な小千谷の風景と
ゴミの山のアンバランス・・・。

彼は早朝薄くらい中、市民の家に行き
写真を撮り、何枚も大きく引き伸ばして、ラミネートしてくれました。(全部自腹)

そして、避難所などに貼ってくれました。
その後、その写真は私に託され、小学校の授業などで活躍してくれています。
(あ!この写真を資料として市に提出しよう!)



彼は転職先を悩みながら長期ボランティアをしてくれていました。
そして、ボランティアの合間に試験を受け
見事、新潟県警に就職が決まり、
小千谷市勤務を希望してくれました。
「ず〜〜と、小千谷を見守って行きたい!」という気持ちからです。

残念ながら長岡市勤務になりましたが
近いし、その気持ちだけで、充分嬉しかったです。



彼も素晴らしい人間でした。
一緒に活動していた彼らに風邪が蔓延していました。
テントや車で長期間寝泊りし、
ろくな食事もとれず、朝から晩まで活動していたから無理もありません。

私は我が家に泊まるようお願いしました。
でも、彼らは決して動きません。
「風邪をひいているのだから、せめて1泊でも暖かい部屋で寝てくれ!
じゃないと、結局は仕事にならないで意味がないじゃないか!」
と、かなりしつこく誘い、やっと来てくれました。

でも、2度と彼らは我が家に泊まってはくれませんでした。
彼ら曰く
「自分たちは帰ろうと思えば、帰れる家があります。
でも、被災された方はそれがない・・・。全然違うのです。
僕らはいいんです!大丈夫です!」等など・・・。
彼らの頑なな信念を知ったとき
これ以上言うのはやめよう。失礼にあたる。彼らは本物だと思いました。

被災者に支援する人はあっても、ボランティアへの支援は全くありませんでした。
自己完結・自己責任だから当たり前かもしれませんが。
でも、私は色んな面で、ボランティアのボランテョア(支援)がしたい!
より良い環境で活動ができれば市民にとってもプラスになるわけだし。
と強く思い、活動しましたが、なかなか進展しなくて悔しい思いでした。



(11月19日「ボランティア」で記載した、彼の新聞が出てきたので遅ればせながら掲載)


いまでも、車中泊の人のエコノミー症候群が心配され
時々、診察が行われるニュースを見ます。
ありがたいと思うと同時に彼ら(彼女ら)ものことが気がかりで仕方ありません・・・。

彼(彼女ら)らも、同じく長期に渡って車中泊していたのです。
人によっては、被災者より長期だったかもしれません・・・。
でも、誰もその事に触れる人も、事もありません。
ボランティアは自己完結・自己責任だから・・・。

皆さんが、今も、そしてこれからも
健康に過ごされることを願ってやみません。
| tomo | 16:42 | comments(4) | trackbacks(0) | pookmark |
ボランティア2
 この山本山の現状を、市民の知り合いにに話すと、
大方の人は、焼却炉が機能してない事、
山本山がそんな悲しい事になっていることを知りませんでした。
そして、皆一様に心を痛めました。

私の母は普段から、エコな人です。
そこまでは真似できない・・・という位エコな人です。
それは今に始まった事ではありません。
戦後の苦しい中、貧乏して育ったので
物の大切さを知っているのです。

そして、ゴミを家から出したって、
結局は地球のどこかに存在している訳で
決して無くなったのではない
という事に心を痛めている人です。



市役所の担当部署に電話して
「ゴミを出しても勿論悪いとは言いませんが
この現状を広報し、努力できる方は努力を!という案内は出来ませんか?」と質問しました。

でも、答えは「1日も早く、市民が落ち着いた生活に戻れるのであればいいので・・・」
という回答でした。

色んな見解があるし、それでなくとも忙しい方々に
これ以上あれこれ言っても悪いので、それで話は終わりにしました。

でも、心の収まらない母は地元の新聞社に投書しました。
もしかしたら、叩かれるかもしれないというのを覚悟して。



震災で学んだ事は沢山あります。
そして、どうしようもない事も学びました。
「震災ゴミ」というものも初めて知りました。
1食ごとに、容器や箸が使い捨てられる・・・。

大事にしまってあった物、忘れさられていたけど貴重な物が
どんどんと、あっという間に捨てられてしまいました・・・。

本当に悲しかった・・・。
でもいいこともありました・・・。
| tomo | 16:29 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
ボランティア

 Mさんの話の中で
「ボランティアに来た方の中で5日間ずっと、山本山のゴミ処理に従事してくれた方もいた。
ボランティアに来たら、市民から”ありがとう”の一言を聞きたいと思っても
決して不思議ではなく当然だと思いますが、市民に”ありがとう”も言われることもなく、
市民に会うこともなく働いて帰っていったという方もいるんです!」
という説明がありました。

講演を聞いていた市民の方は驚いたようでした。
私はよくぞ言ってくれた!と思いました。
私もそういう人に出会い、今でも忘れる事ができない人の一人になっています。

10月末のある日、私はサンラックおぢやに用事があって出かけました。
そこで、ボラセンの状況を少し垣間見て、
”やばい!ここには小千谷市民が殆どいない!(職員は普通にいましたが)”
それによって滞っていたり、無駄になっていることがいかに多いことか!と知りました。

例えば、町名が読めない。
例えば「真人町」。
市民なら即「まっと」と読み、どの辺りかも分かります。
歩いていけるのか、バスがあるのか、いや?まだバスは通れてないかも?
などなど、すぐ判断をし、次へ次へと行動できます。

でも、県外の方だと、まず地図読みでつまづきます・・・。
そこに行き着くにものすごい時間と、他の方の労力とエネルギーを費やします。
地図読みの場所に、一人小千谷市民がいてくれたら
それだけでどんなに簡単に済むことか!
そんな事があっちでもこっちでも起こっていたのです。

事務所に行くと、同じことが起きていました。
そして、そこに1ヶ月前にあった「BE GOOD CAFE」のスタッフを見かけ
声をかけ、思いを伝えると、
「今の話を皆の前でして欲しい!あなたみたいな人を待っていた!」と言われ
話をしました。

感謝の気持ちと共に、
「市民がいないことで滞っている事、困っていることがあるように感じました。
市民性も理解しているので、私をどんどん使ってください」みたいな事を言いました。

会議が終わるや否や、一人の若者が私の腕をつかんで
「捕まえました!放しません!仲間(友達だったかな?)になってください!」と言ってきました。
まっすぐな目をしていました。

彼は大学生で、広報の副リーダーをしていました。
ずーと悩んでしました。彼だけでなく全員が・・・。
沢山のボランティアが来ているのに、あがってくる需要が少ない・・・。
ボラセンの存在を知らない人が多いのと、
知っていても「もっと大変な人がいるから自分は自分で何とかせねば!」という人が大半・・・。
でも、明らかに困っている人は沢山いる・・・。
作業に行きたい!でも、本人からの要請があがってこないと行くことは出来ない・・・。
ローラー作戦といって、こちらから需要を探して助ける事をしていた
他市町村はあったけど、小千谷は許されていない・・・。

そんなジレンマを抱えながら
日中は作業、夕方から夜中までは機関紙「がんばろって小千谷」を作成したり
話し合いを重ねたりしていました。

そんな彼がある日
「僕は行く場所を見つけました!最後の日まで毎日そこに行きます」と言うのです。
そこは、山本山の市民の家の前の広場にできたゴミの山でした。



小千谷市が発行する市報にも掲載されました。青い服が彼です)

当時、焼却場は壊れたまま機能してなく
ゴミはどんどん山本山にきていて、日に日に山は大きくなり、増えていきました。
腐敗した生ゴミなどを市外県外から来た収集車に投げ入れる作業は
時に嗚咽しながら、吐きながらの作業でした。

分別されていないゴミを分別したり、
危険物を撤去したりもしていました。
私も仲間とその作業に参加しました。
そこで「殆どの市民はこの現状を知らない。
この惨状を知ったら全員とは言わないが、努力する人が多いのでは?」
「生ゴミは仕方ないとしても、今すぐ出す必要の無いものが、ここぞとばかりに捨てられている」
「家が倒壊したり、壊さざるを得ない人は仕方ないけど、そうでない人は努力すべきだ」と思いました。

事実、近所の方は普段でも出さない物を大量に出していました。
しかも数十メートル先のゴミステーションに持っていくのが大変で
車に何回も乗せて・・・。
皆がそんなことしたら、ステーションには置ききれないし
収集車がきても乗せ切れなくて混乱するだけなのに・・・。

私は「市民が知るべきだ!それこそ広報に載せればいい!小千谷市民はそんなに馬鹿じゃない!
この山本山の現状を知ったら悲しむ人も沢山いると思う」と主張しました。

でも彼は「市民には教えたくない!僕らが頑張ればいい事です。
市民の皆さんには1日でも早く落ち着いた生活に戻ってもらいたい。
家の中が片付いて、少しでもホットして貰えたらそれでいい!
そのためなら、こんなことは大した事ではないです」と言うのです。

ありがたくて、ありがたくて心を打たれました。
こんなにも思ってくれて胸が一杯になりました。
今でも、この時の事を思い出すと胸が詰まります。

でも私は
「それでも市民として知りたい!努力したい!」と主張しました。
この話は平行線のままでしたが、今でも心から感謝の気持ちで一杯です。

そして、とうとう彼が帰る日が来ました。
泣きそうな私・・・。ニコニコ笑う彼・・・。
「また来てね!いつでも待ってる」という私に
彼は「当分きません!(きっぱり)
   でも、山本山のスキー場が再開したらスノボしに来ますね!また!」
と、言って別れたっきり1度も連絡を取っていません・・・。

本当は連絡したい!でも、スキー場閉鎖しちゃったし・・・。
あんなにきっぱり言われたら・・・。

でも、「会いたいよ〜〜!」って恋する乙女みたいな心境じゃない?
たしか丁度一回り違って、同じ干支で同じ誕生日で同じ血液型だったよね。
他人とは思えないから、いつか必ず会えるよね!?

| tomo | 18:10 | comments(5) | trackbacks(0) | pookmark |

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